曲なればすなわち全し
「曲なればすなわち全し」
老子の言葉
幹や枝の曲がった人目に付かぬ木が伐られずにその寿命を全うする・・・
- 直線的に生きるよりは曲がりくねった道を一人行く。正論をまっすぐ通そうとすると敵を作り、攻撃を受けたり折れたりする。敢えて腰をかがめて曲がりくねった遠回りの道をゆっくり進む方が往々にして遠くまで辿り着くものだ。
- まっすぐに育った木は人目に付きすぐに切り取られてしまう。才能のある若者は世間にすぐに取り立てられて一時はもてはやされるが、それも長くは続かず、往々にして途中で挫折する。人の目を気にせず自分の思う道をゆっくりと進む人生の方が、はるか遠くまで歩むことができ、与えられた天寿を全うすることになる。
- 「人の行く裏に道あり花の山」(千利休が詠んだとされる和歌)・・・人知れず自分の思い描いた道を、信念をもって進んでいく勇気を与えてくれる。投資の世界の格言等にもよく引用され、様々な場面で、人生の指針としても味わい深いものがある。人の歩まぬ道を行き、人知れず自分だけの花を探す。
- 「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞聖人が詠んだとされる和歌)・・・明日もあるだろうと安心していると、今日の夜中に強い嵐が吹いて桜はすべて散ってしまうかもしれない。明日を頼むな、今日しかないと思い定め、前に進む。
- 海岸に打ち捨てられたように佇む一艘の船がある。潮は既に引いて久しい。一体いつになれば、再び潮が満ちるのか、いつになれば再び船出の時を迎えることができるのか。じっと潮の満ちるのを一人待ち、その船の姿を見つめ、再び船出ができる日を心に思い描く。そしていつか潮が満ちる日がやって来る。
人生に思い描く希望・期待とは裏腹に、自分の置かれた厳しい現実の世界を思い知らされ、打ちのめされる。そんな意気消沈する者の姿を見たら投げかけたい言葉たちである。人の人生が華やかに映し出され、それと比べて自分の人生はどうだ。自分の置かれた過酷な環境、不運と劣等感に苛まれ、思い通りに行かず悩むすべての者に大きな慰めとなる。思い通りにいかない時がほとんどの人の人生の大部分を占める。それが本来の人生の姿であることを教えてくれる。その苦しみを受け止め、永き時間を携えて、それでもいつか船出の潮は満ちると信じ、一歩前に進む志と勇気を与えてくれる。