リスクテイク
方丈記を表した鴨長明は、賀茂神社の禰宜(神職)の子として生まれ、和歌と管弦をこよなく愛したが、官職の禰宜を継ぐこと能わず、失意のうちに都を離れ、鴨川のほとりに居を移し、晩年は山中の簡素な庵住まいを選んだ。宮仕えの気苦労の多い生活に疲れ、最後は日野山の山間に隠棲する内に、その自然のあるがままの暮らしに喜びを見出し、古来より文人の一つの究極の憧れの隠棲生活を体現し、歴史的な名文を残した。しかし長明の方丈記をみると長明の関心は、生活の営む拠点である住まいに多大な関心があったことが窺える。
古(いにしえ)より人と住まいは現世に久しくとどまることがない。
安元の大火(1177年)、治承四年の辻風(1180年)、福原遷都(1180年)、養和元年の大飢饉(1181年)と天変地異を立て続けに体験した長明の、自然災害に対する迫真のルポルタージュともいえるその記録は、体験した者にしか記すことができない克明さでその惨状を記録にとどめ、その内容は詳細を極める。長明が実際に体験した事実に基づき辿り着いた晩年の境地の集約ともいえる「方丈記」のタイトルにもなった「方丈の庵」は、一丈(約3メートル)四方の、まことに簡素な作りで、それでいて必要最低限のものを備えた、長明お気に入りの住まいであった。人の住居はその時代の様々な要因(自然災害、老朽化、取り壊し、移転、遷都など)により、その言葉通り、その多くは永く原形をとどめることはない。
住宅不動産市況を動かすいくつかの要因
住宅ローン
近年、住宅不足は解消し、空き家問題が叫ばれて既に久しい。住宅ローンはどの銀行でも扱っている看板商品であり、安定的に返済が見込めるどうかの年収基準が、以前と比べますます緩くなり、頭金なしで住宅ローンを取り組むケースも出ている昨今である。
2008年アメリカで起きたサブプライム問題は、まさにこの年収基準制限をなし崩しにして誰でも借りられるようにしたのが始まりである。なぜそのような仕組みが可能となったのか。その仕組みは、融資された住宅ローン債権は短期間で投資家に転売され、リスクが表面化しないためである。住宅は猛烈な勢いで販売され、銀行はそのローン債権を流動化しファンドに転売した。そのとき、オプション、デリバティブ、CDSなどの様々な金融工学の技術が駆使された金融派生商品が生まれ、理論上はリスクを分散し、高格付け債権に生まれ変わらせた。その結果、新たな投資先を求める投資家により、比較的高利回り高格付けで安定的な金融商品が供給され、ファンド、年金、銀行などいくらでも買い手が現れた。それを支えたのが、世界的な金融緩和によって生じた過剰流動性と呼ばれ、瞬時に世界を駆け巡る巨大な資金の流れである。そしてその金融商品は全世界に広まっていったが、アメリカにおいて2001年から2006年まで続いた住宅価格の高騰も、2007年夏頃には住宅価格は下落に転じ、サブプライム住宅ローンは不良債権化し、あの2008年のリーマンショックとなっていく。日本経済もその深刻なダメージを受け、2009年日経平均はバブル後最安値7054円を記録した。安心して住める住宅に対する人々の欲求は、いつの時代も変わらなく根強く、住宅投資がもたらす、その経済効果は、幅広く多くの産業に波及し、経済社会を大きく動かす基本的な要因となる。
不動産投資利回り
一般的に不動産投資利回りは、何によって決められるのか。
不動産投資には、事務所オフィス、工場、物流倉庫、賃貸マンション、シティーホテル、リゾートマンションまで様々なジャンルがあるが、投資判断で一般的に利用される利回りには、粗利回り、純利回り、投下資本収益率、総合収益率などがあり、収益還元法の一つであるDCF法もある。
利回りの高い物件には、比較的建築経過年数が大きいものが多く、利回りは6%から8%前後、中には粗利回りが10%を超えるものもあるが、それなりのリスクが伴う。安定的で長期の運用が見込める、都市部の利便性の高い築後経過年数の浅い収益物件では、3-6%前後に留まるケースが多い。この差は物件の持つ固有の価値と現在の収益状況と今後の所有期間に応じた維持管理に掛かる費用の見積もりが大きく関係してくる。
自然災害が多発する時代となり、自然災害に対する潜在的なリスクも加味され市場価格が形成されるが、地震・風水害などのリスクの規模、頻度を検討し、投資に加味するのは非常に困難である。株式投資ならば、損益計算、時には納税まですべて証券会社がやってくれるが、不動産投資は手元資金の準備・借入手続きから最終の課税所得に対する税金まで、すべて自分で計算しなければならない。たとえその投資シミュレーション計算を人に任せたとしても、最後にその結果とリスクを引き受けるのは本人である。非常に予測不能で難易度が高い。その不動産投資は長期に亘り、自分が売却したい時に思うような値段で売れないという大きな流動性リスクもある。なかなか不動産投資には踏み切れない人が多いのは、頷ける事実である。
不動産に掛かる税金
立地条件に合った最適な不動産投資を提案するうえで、不動産取得税に始まり、登録免許税、固定資産税・都市計画税、不動産所得税、譲渡所得税、相続税と、不動産に掛かる様々な税制を熟知し、この税金を如何に収支計画に組み込み、コントロールするかが不動産コンサルティングの重要な一つの要素となっている。
英語で「リアルエステート」という言葉がある。一般的に不動産と訳される。このリアルの語源は元々スペイン語のReal(レアル)で、本来「王様の」という意味で、自分に土地の真の所有権はなく、一定期間だけ自分の名前を付けてもらえるが、その名前代が固定資産税であり、種々の税金であり、その支払いを怠れば、直ちにその名前は消される運命にある。不動産所有のコストである租税公課・維持管理費は非常に重く、今後期待されるベネフィット、メリット、支出の削減効果に釣り合うものかどうか慎重に見極める必要がある。
立地条件
中国の故事に、孟子の母が、はじめ墓所の近くに住んでいたところ、孟子が葬式のまねをして遊ぶので市中に引っ越した。今度は商売のまねをするので学校のそばに引っ越した。すると礼儀作法をまねたのでそこに居を定めたという。
孟子の母は何よりも子供の教育環境を重視したが、学生・若者や都市部に働くサラリーマン、郊外の工場勤めの勤労者、教育施設が最優先の子育て世代と、それぞれが住宅に求めるニーズと優先条件は大きく異なる。住宅購入を検討する人の前には、戸建て分譲住宅、賃貸アパート・マンションと様々な選択肢が提示され、子供の教育環境等、生活利便性、通勤時間、居住スペース、年収の5倍以上(都市部の高級マンションではそれ以上)ともなる住宅ローン借入の毎月の負担、税金等、考慮すべき要素が余りに多く、誰においても何を優先し、何を我慢するかという選択肢が目の前に出され、それは言ってみれば目指す期待収益と利回り、それに伴うリスクテイクという困難な判断を迫られるのが現実である。
情報収集
住宅の選択はその人の人生に大きな影響を与えるリスクテイクとも言え、特に情報収集が大事である。しかし、情報収集には時間とコストが掛かる。そのときスマホによる情報収集は大きな力を発揮する。今やスマホは携帯できるコンピュータであり、情報収集には欠かせない。しかし、現地確認と現物精査の重要性は言うまでもない。実際の住環境、種々の制約条件、隠れた情報までは出てこない。そして選択をする際に必要な資料をどこまで入手できるのかが問題である。
統計資料は見えないものをおぼろげに見せてくれるだけで、十分な判断の根拠を与えてはくれないが、自分と共通する問題意識をもつ、似通った多くのケースで、どのような判断が行われたかという結果が数年遅れで事後的に見えてくる。また、統計はそれを実施する政府機関とそれを利用するために加工する者の間にはさまざまな問題が介在し、真実をそのまま伝えてくれるとは限らない。民間企業でも様々なアンケート調査、実態調査を統計学的に有意な方法で行っているが、資料の信憑性は、情報発信元に対する社会的信頼に依存する。
しかし、他に判断する材料・手段がなければ、現存する限られた資料に頼らざるをえないのが現実である。住宅価格もすべての選択肢を検討することは不可能であり、前提条件を絞り込み、最後は近隣の売買事例を参考に決定する。賃貸不動産であれば、不動産仲介業者が提供する近隣のアパートの平均的な賃料、事務所オフィスの坪当たり平均単価などが提示され、他に比較すべき情報を持っていなければ、その賃料の統計資料が出発点となり、その基準賃料と比べ高いか安いかということになり、その基準賃料の一定の範囲で決めざるを得ない。そのようして賃料相場が形成されていく。何事にも掛けられる時間・コストには限りがあり、すべての情報を精査し検討することは、現実に不可能であり、限られた情報を元にリスクテイクすることとなる。
リスクテイクへの決断
著書「ホモ・サピエンス」で有名なイスラエル人の歴史学者ユバル・ノア・ハラリ氏は、ライオンとヒヒの例を挙げ、
「危険を過大評価するアルゴリズムを持つ臆病なヒヒは飢えて死に、そのような意気地無しアルゴリズムを形成した遺伝子も、そのヒヒと共に消滅する」
「危険を過小評価するアルゴリズムを持つ向こう見ずなヒヒはライオンの餌食となり、その無鉄砲な遺伝子も、次の世代に引き継がれず仕舞いになる」
「これらのアルゴリズムは自然選択による絶え間ない品質管理を受ける、確率を正しく計算する動物だけが子孫を残す。」という。
リスクの評価とは人生の選択そのものである。どのような学校教育を子供に受けさせるのか、どの分野のどの会社に就職するのか、生涯の伴侶を選ぶ基準、住宅投資の判断、老後に備えた資産形成、さらにどのような老後を迎えたいのかなど、人生の大きな選択を迫られたとき、人は自分を取り囲む身近な人々の先行モデルを参考に、今までの様々な経験・学習を通じて習得した判断力を総動員して、リスクを分析し決断することとなる(あえて自ら選択しないという態度も一つの選択である)。
行動経済学
人は一貫した合理的な価値判断に基づき経済的な選択するという、それまでの経済学の前提を崩し、「行動経済学」は、人は時に経済的に不合理な選択をするということを教えてくれて示唆に富む。どのように不合理か。有名な例であるが、あなたは劇場で有名な舞台があり、どうしても見たいので事前にその高価なチケットを購入し、当日いざ入場しようとしたら、そのチケットをどこかで無くしたことに気づいた場合、あなたは再度同額の代価を払ってチケットを購入するかどうか。そのチケットがたまたま友人からのプレゼントであったらどうするか。あなたは再度購入するかどうか。
多くの人は最初の質問に対し「いいえ」と答え、後の質問には「はい」と答える。人は「心の会計」とも言うべき口座に色分けして入金し、同一の経済的価値に異なる価値を付与するという。苦労して働いて貯めた住宅購入のための貯金、おばあさんからもらった遺産、宝くじの当選金などの思わぬ一時所得など、慎重に使い途を考えるお金と、すぐに浪費してしまいがちなお金の間にある違いは、まさに「心の会計」の作用が働いた結果である。しかし、有益な交換手段として広く流通する貨幣の価値には全く差が無いのも真実である。
人は、被る損失に対する経済的価値と受け取る経済的価値の絶対値が同じでも、行動は異なるという。損失リスクに対しては非常に敏感で経済的に同価値の利得と比べ、損失を伴う経済行動には非常に保守的である。研究によれば一定額の損失リスクに対し、その2倍程度の利得の期待が無ければ、そのようなリスクを選択しないということが、実験で明らかになっている。
歴史に学ぶ
ある事象が、一定期間に起こりうる頻度、範囲、その影響度が「リスク」という言葉の本質であり、本来それはプラスとマイナスの両面を持ち、それを如何に評価するかは人それぞれの価値観に依存するが、ある経済変動の発生確率の予測研究は、経済学・統計学とともに、歴史的な経験に学ぶことができる。
ある統計学者の言葉を引用すれば、「未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他の様々な運命を想像するためだ。もちろん、それは全面的な自由ではない。私たちは過去に縛られることは避けられないが、少しでも自由がある方が、全く自由がないよりも優る」という。
人生の折々に迫る重大な「リスクテイク」の場面に、普段より如何に情報収集し、そのリスクを見積もり、いかに備えてきたかがその分かれ道となる。