危機への対応
危機の本来の意味
危機には二つの側面がある。危険(リスク)と機会(オポチュニティ)である。危機は危険と機会を合わせ持つ概念であり、この二つは表裏一体となり、密接に結びついている。
例えば、起業というリスクを取らなければ、自己実現の利益は決して手に入らない。また、古より、「災い転じて福となす」、「塞翁が馬」と言う諺もある。危機対応への取り組みが未来の自分のあり方、存在を決定づける。
ジャレド・ダイアモンド氏の著作となる「危機と人類」は、国家的危機への対応を主として取り上げている。フィンランド、近代ニッポン、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリアを取り上げ、その危機の本質を、言わば、国の置かれた政治・経済・社会環境、国民の置かれた実態、過去の歴史的経験、ナショナルアイデンティティ、指導者の問題、危機克服のために傾注した努力とその過程を明らかにし、そこから歴史的な教訓を汲み取ろうとする者にとって、意義のある深い理解と洞察を与えてくれる、類い希な著作である。
冒頭に取り上げられた現在のフィンランドは、科学技術と工業力で世界に知られており、国民一人当たり平均所得もドイツ、スウェーデンと肩を並べている。広大な陸続きの国境を有するソ連との1939年からの「冬戦争」「継続戦争」は過酷を極め、フィンランド国民は多大な犠牲を強いられた。当時のフィンランドは人口370万人、対するソ連は1億7000万人、軍事力も圧倒的な差が存在したが、他国の支援も期待できない状況のなかで、占領を退け、最終的に独立を守った。その後も危機は続くがその危機を乗り越えた、強烈なナショナルアイデンティティ、その体験と自信・誇りは、今日に至るまで粘り強い外交交渉力を遺憾なく発揮させた。歴史的にも稀有な、フィンランドの国家的危機対応の具体実例が、深い分析とともに語られるが、今日のフィンランドを築き上げたその過程と帰結的要因を、世界の各地の各時代の象徴的で、特筆すべき国々の歴史から読み解き、そこから普遍的な法則性を導き出し、一般化し、体系化するその著述力には、目を見張るものがある。
ジャレド・ダイアモンド氏は、現在はカリフォルニア大ロサンゼルス校の地理学の教授であるが、経歴は多彩であり、現代世界を代表する学者の一人であり、幾つもの言語を自由自在に操り、多くの国に赴き、様々な経験をベースに鋭い歴史観察とその背後にある基本的な構図を明らかにし、支配的な要素を抽出して、わかりやすく的確な表現で、読者に語りかけてくれる。
こんな多彩な才能と豊富な知識を我がものとし、多様な世界と人々に接し、様々な経験に溢れ、歴史と地理のみならず、多くの学問を究めた同氏は、絶大な信頼と人気を博している。
世の中にはこんな賢い人もいるのだということを、あらためて教えてくれる。国家の危機への対応の問題は余りにも問題が大きく、手に余る。ここでは「個人の危機」を如何にして克服するかという、個人レベルでヒントとなる部分を取り上げたい。
博士は個人的危機の帰結にかかわる要因として、次の12の要素をあげている。
- ① 危機に陥っていると認めること
- ② 行動を起こすのは自分であるという責任の受容
- ③ 囲いをつくり、解決が必要な個人的問題を明確にすること
- ④ 他の人々やグループからの、物心両面での支援
- ⑤ 他の人々を問題解決の手本にすること
- ⑥ 自我の強さ
- ⑦ 公正な自己評価
- ⑧ 過去の危機体験
- ⑨ 忍耐力
- ⑩ 性格の柔軟性
- ⑪ 個人の基本的価値観
- ⑫ 個人的な制約がないこと
この多くの部分で国家的危機対応とも類似している項目が多い。冷静に考えれば、至極妥当な項目が並んでいるが、問題は個人レベルでは、現実的にこのような冷静な判断と対応が取りづらいことである。しかし、帰結的な結果からみれば、様々な危機を克服した人たちに共通する重要な要因なのである。人の知識、経験、判断力も直線的には進まず、むしろロジカルに考えて行動する人は稀であり、人のDNAに組み込まれた生物学的な要因と、様々な人間関係と感情に操られ、失敗と経験を味わい、紆余曲折を経て、遅々として螺旋階段状にしか進まないのが現実であろう。
誰もが危機に直面する
人生において誰もが大なり小なり、何度も危機に直面する。進学、就職、失業、転職、破産、離婚、病気・高齢化による生活危機、経済的困難、世界経済の変動・波乱による企業経営の混乱、未知のウイルスが及ぼす疾病・パンデミック、地球温暖化による気候変動によって引き起こされる自然災害の多発などである。今後、数十年の間に大規模な自然災害の発生は避けられないと多くの研究者が予測し、日本において誰もがいずれは被るであろう自然災害のリスクも、人ごとでなく身近に感じ始めている人もすくなくないだろう。その自然災害の要因だけではないが、社会のデジタルトランスフォーメーションの加速、リモートワークの定着などの要因もあり、東京一極集中から地方移住・分散へとの流れは、次第に加速しているように思える。
本書中に記された、フィンランドの困難な歴史の克服と現在の繁栄に至る過程などは、今後も現れるであろう、危機的局面を打開するためのひとつの重要な教訓であり、先例であるが、個々の人生の構成要因とも相通ずるものが多く含まれる。試行錯誤の連続である人生の、その道しるべ、一灯として、世界の国々の歴史と経験とに学びたい。