和暦と西暦
いつも悩む和暦と西暦の使い分け
公的な文書は和暦が多い。しかし、民間の文書は西暦と和暦が半々に入交り、使用されている。問題は不動産業という仕事上、頻繁に和暦と西暦を変換する必要に迫られるからだ。特に不動産業は、建物の築年数が多く問題となる。築後何年経過したかが建物評価に決定的に影響を及ぼすからだ。特に昭和56年(1981年)6月1日からの新耐震基準の施行は、建物評価の大きな節目となる。それ以前の建物・マンションは市場流通性が大きく低下する。
不動産謄本の和暦を西暦に変換するには、
「明治△33年」
「大正+11年」
「昭和+25年」
「平成△12年」
「令和+18年」の計算を頭の中で行い、西暦に換算し、今年2025年から引き算、足し算をすると経過築年数が、時には人の満年齢が出てくるという訳だ。
その中でも、引き算をする「明治」「平成」が難問だ。頭の中で、暗算で引き算するときは、以下のように、より簡単な足し算に置き換える。マイナス数字にならないよう、100を加算して計算すると、
明治30年は西暦何年か?
「明治は33を引く」代わりに33に残りいくつを足せば130になるか、答え97だ。だから1897年。
30+100=130
130=
33+
97⇒1897年という計算を行うのだ。
平成元年は西暦何年か?
1+100=101
101=
12+
89⇒1989年
平成11年築の建物は築何年経過か?
今年2025年は平成が続いたとすると、平成37年に当たるから、
37△11=築26年という計算の仕方もある。
今年は昭和100年に当たる年だから、昭和56年建築は44年経過となる。
歴史的事件の年号
古くから暦には年号ごとに十干十二支というものが割り当てられている。
十干は甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類で植物の発生、成熟、衰退のサイクルと縁が深い。
十二支は、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の12種類で多くは動物に例えられている。
それでは、かの有名な西郷隆盛が主要人物として登場する戊辰戦争は西暦何年か?の問いに答えるにはどうすればよいか?
- 先ず、干支表(えと)は1番目の甲子(きのえね)から60番目の癸亥(みずのとい)まで、60種類の組み合わせがあり、これが還暦60歳の語源となっているが、その組み合わせ順は十二支が十干より二つ多く、12年で2個ずつずれることにより、それが5回繰り返されることにより、元の干支に戻るという訳だ。12年毎に2個、を5回掛け算で60年で一回りし、元に戻る。
- 干支表と西暦には「3」のずれがあり、補正するためには、西暦からは「3」を引き、干支からは換算する場合は「3」を足す。
- 戊辰(ぼしん)は干支表の5番目にあり、5+3=8
60×□+8=戊辰の年となり、その□に入る数字を類推すると、幕末は19世紀なので、□に入る数字は30か31、30なら60×30+8=1808年、31なら60×31+8=1868年という結果になり、1868年が正解となる。
よって、干支表の番号を調べ、そこに3を足し、60×□の□にどの数字が入るのが妥当かと判断し、答えが導かれるという訳だ。
戊辰戦争は大政奉還後の「政治権力争いから始まり、鳥羽伏見の戦いを経て、最終的に北海道・函館五稜郭での戦いで旧幕府勢力が降伏し、新政府による国内統一と明治維新の本格化を決定づけた重要な戦争となった。
その国が用いる暦にはそれぞれで、近代の歴史においては西洋社会が世界の支配的な位置を占める事柄が多く、西暦が今日では、あたかも歴史を計る共通の尺度として用いれらることが多いが、各国の歴史・文化に根差したその国の独自の暦があり、その国の歴史と暦は切っても切れない関係となっている。