少子化・未婚化・高齢化の対応策
ローマの哲人、セネカは自身の著書「道徳についてのルキリウスへの手紙」のなかの言葉で、概略、以下のように述べている下りがある。
「・・・妄想からくる恐怖くらい壊滅的でどうしようもないものはない。苦しみを先取りして何になるのか。それが本当に来た時に苦しんでも遅くはない。将来に対する備えは必要だが、まだ見ぬ未来のために、現在を犠牲にするのもほどほどにしなくてはならない。」
また、様々な煩悩を解き放つ賢人の言葉として次のような言葉もある。
「過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。過去は既に捨てられ、未来はまだ来ていない。」
現代人の目の前の日常には、絶え間なく、将来の不安を掻き立てるような話題に事欠かない。
地球温暖化
化石燃料の消費によるCO2の排出による地球温暖化は限界を超えた。後戻りのできない、破滅的な環境破壊が目の前に迫っている。発展途上国と経済先進国の利害関係は衝突し、どちらの陣営もその対策の必要性・重要性を説くが、現実の地球温暖化の進行を食い止めることはできていない。死に絶えた惑星に存在するビジネスはない。
将来生活・老後への不安の増大
経済社会構造の急激な変化がもたらす様々な影響が、特に若者と高齢者にその将来生活と老後生活への不安感を掻き立てている。社会福祉が行き渡り、社会インフラが整備され、高度に経済社会が発展した日本において、人々が感じる幸福度が世界の同種の調査と比べ相対的に低く、不安感が顕著なのは何故か。
IT技術の高度な進展は、情報の洪水とでもいうべき状況を作り出しており、SNSメディアが社会に深く浸透し、多くのSNS依存症を生み出し、真偽の見分けの付かない情報に振り回されているのが現状であり、その影響は政治・経済・社会・文化など広範囲に及び、個人生活に及ぼす深刻な負の側面も無視できない。
労働のデジタル化の大波
資本の自由化、貿易構造の変化による労働の質的変化とともに産業のデジタル化IT化の波は急速に押し寄せている。この10年間で社会は大きく変化した。誰もがこのデジタル化された社会に、適応できず一人取り残されるという不安を抱えている。
デジタル化された産業社会において、職業の選択肢の変化という大波に取り残された、多くの高齢者の働き方は限られてくる。多くの人は必死に対応しようと涙ぐましい懸命の努力を続けているが、自ずと肉体的な限度がある。
産業構造の変化
社会の金融・情報・IT産業化とサービス業への急激な傾斜は、3Kと言われる職業の担い手を減少させている。そこに「働き方改革」の波が押し寄せ、週休二日制の徹底と過度な残業に対する罰則も法制化され、特に建設業界・物流業界の労働需給は逼迫し、労働賃金は高騰し、資材は円安で高騰し、予定した工期は守れず、採算性が落ち込み、業界は深刻な事態となっている。
非正規労働の増加と相対的貧困化
生活を維持するため、日本の高齢者と女性の労働参加率は世界的に見ても高い水準にあり、パートタイムなどの軽作業などの非正規労働が増えている。また、企業の長時間の拘束と精神的な圧迫を嫌う若者たちの傾向と相まって自発的な選択も増加し、また多くの子育て世代の女性のやむをえない選択肢としての非正規労働の割合は着実に増加した結果、今や40%を超えている。その結果は労働力の流動性が高まり、労働コスト低減面では企業経営者にとっては好都合であるが、勤労者全体の平均的な実質賃金の押し下げ要因となり、平均的な世帯の可処分所得の低下という社会全体の相対的貧困化をもたらしている。
世界的なインフレと実質賃金の低下
世界的な物価インフレと円安の波が日本の輸入物価にも及び、長年経験したことのない形で、庶民の生活にも押し寄せている。家計を預かる消費者は、より割安な商品・食料品を求める消費者の生活防衛意識と行動は一段と高まっているように見える。今春の春闘の大企業による平均的な賃上げが5%を超えたとの政府の進軍ラッパにも、笛吹けど踊らずというのが庶民の受け止めではないか。インフレは適度なインフレは経済を活性化させるが、過度なインフレへと移行すれば経済をマヒさせる。適度なインフレにとどめる確実な手段を未だ世界は持たない。実質賃金は2年近くマイナスを記録している。
アジアの共通課題としての少子化
アジアにおいても、日本、韓国、中国など一定の経済成長を遂げた国々は、深刻な人口構造問題に直面している。工業化が進み、国民の平均所得が上昇し、教育の高度化・長期化による教育費を含めた子供の養育費の負担増加は、夫婦共働きを必要とし、必然的な帰結として婚姻の晩婚化とともに少子化は進行する。子育て本来の楽しみが、それに伴う親の養育義務・経済負担にばかり目が行ってしまい、経済的な行動の制限、個人生活の自由度が損なわれると思い、躊躇する人もいるだろう。
子供のいない社会
総務省によると、15歳未満の子どもの推計人口は2024年4月1日時点で1401万人となり、43年連続で減少している。核家族化が言われて久しいが、若者の未婚化と単身高齢者世帯の増加は日本の社会を大きく変容させている。子供のいる以前の当たり前の風景が貴重な風景となりつつある。若者は年寄りから離れて生活し、交流が少なく、世代間で共有してきた子育て負担を夫婦単独で経済的にも精神的にも担わざるを得ない。夫婦共働きは大多数の若者の負担感を増大させ、子供の二人目三人目は尻込みせざるを得ない状況となっている。戦後の健康寿命の伸長と高齢化は、団塊の世代の本格的な引退が始まり、ここ10年で一段とその速度を速めると同時に、出生数の減少が加速している。ダブルパンチである。
空き家の増加
今春の総務省の発表によれば、空き家は空前の900万戸を突破したとのことである。
親の家を継がない若者夫婦と伴侶を失った単身高齢者世帯が増加している。中古住宅の耐震化設備投資の高負担が立ちはだかる壁となり、高齢者一人世帯の増加と管理の行き届かない「特定空き家」の増加は表裏一体である。
過去の経験・出来事に縛られる余り、社会全体としての勢いが削がれ、個人の心理にも影響を及ぼし、決断に迷い、一歩踏み出せず、行動を抑制してしまうことは、よく見受けられることだ。世代交代を一層促進し、そのしがらみ・旧弊を経験したことのない、過去の経験に縛られない、新しい世代の本格的な登場を願うしかないのだろう。
将来に対する様々な不安・リスクに満ちた現代を生きる我々は、未来に起こりうる事象の影響を先取りし、今から備えることは重要だが、そのことに過剰反応して、現在の行動を萎縮させるのは本末転倒で、いつの時代も誰にも、現状に甘んじることなく、一歩前に進み未来を切り開く勇気が求められている。
いつの時代も社会の変化は急激であり、様々な社会的なひずみと摩擦は議論を呼び起こしながら、時代は進んでいく。波に乗る人、乗れない人、乗らない人。大きく変化した後に揺り戻しが起きること、しかし前とは違う新しい時代に適応した姿に変わっていゆくことも歴史は教えている。変化に適応した者だけが生き残る。いつの時代に生きる人々も、絶え間なく襲い掛かってくる、将来への不安という強大な相手といかに戦い、自分の目に触れる周りの人々の一歩踏み出す勇気ある姿に触発され、自分の為すべきことを為すときが来ている。2000年前のローマの哲人セネカの言葉が現代人の胸に響く。