閉じていく世界
ブロック化し、閉じていく世界
世界のグローバリズムの限界が叫ばれ、世界はブロック経済化の様相を強めている。各国、民族が辿った歴史、地政学的な要因、国民が選択した政治形態により、新たなブロック経済化が進んでいくことを、著名なエコノミストである水野和夫氏は2017年の著作「閉じていく帝国と逆説の21世紀経済」のなかで、多くの世界の経済変動の変遷史の例示を挙げて、グローバリズムの限界から世界は、「閉じた帝国へ」と変遷し、その道が生き残る道であると説く。旧来の帝国を意味するので無く、共通の理念を掲げる広範な地域ブロック経済、自由貿易協定もその範疇にあると考えられる。その形態と影響力の行使の仕方から、アメリカの金融資本に依拠した形態、EUの地域的な枠組みを前提とした取り組み等が挙げられているが、アジアではRCEPなどの自由貿易協定の広がりも、そこに含めてもいいのではないだろうか。経済規模の大きさ、人口カバー率から言っても、成長の可能性が大きく、広範なアジア地域での自立経済圏の形成が促進され、民族・文化的なシンパシー、歴史風土が培った国民性に対する相互理解に、経済的連携が進み、その距離をさらに縮め、結びついていく流れができつつあり、アジア地域もEUに劣らぬ、歴史的な巨大自由貿易圏の形成過程にあるといえるだろう。
アジア巨大自由貿易経済圏の誕生
アジアの経済交流の活発化を促すRCEPは、日本語では「東アジア地域包括的経済連携」と呼ばれ、ASEAN諸国を始め、日本、中国、韓国、(インドは協議から離脱)、オーストラリア、ニュージーランドまで含めた15カ国が参加する、広域の自由貿易協定が発効した。世界の人口の約半分の30億人、世界のGDPの3割以上を占める巨大経済圏の成立であり、世界でも注目を集めている。2022年3月現在、11カ国で協定は発効し、残るは、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、フィリピンとなった。
ウクライナ危機で、今後、世界的に交易条件の急激な変化が見込まれるが、世界の基軸通貨であるドル一辺倒の金融戦略、資源・エネルギー戦略は、見直しを迫られ、強力なアメリカ経済を背景としたドル中心の、世界貿易の仕組みが、徐々に変動し、その一定の割合は、今後ユーロ、中国元にシフトし、長い時間をかけて大きく3極に分化していくのだろう。アジア地域の経済連携が加速するなか、今回のウクライナ危機は、アジアを含め、世界規模で、図らずしも「ブロック経済化」「閉じていく世界」のスピードをさらに速めることになるのではないだろうか。
グローバリズムの限界
20世紀末の冷戦の終結により、資本主義はその後の繁栄を長く謳歌してきたが、そのグローバリズム・新自由主義は海外に新たな資源、エネルギー、市場を求め続け、遂には自らその限界を意識せざるをえなくなった。世界経済における辺境(フロンティア)は既に消滅し、アジア・ASEANの国々の中で、今まで成長の牽引役の中国において少子化・高齢化、成長率鈍化の兆しが顕著である。日本を含む欧米先進国の低成長に伴う、世界的な金利低下傾向は(今は一時的なインフレ抑制の為の金利引き上げ局面にあるが)、そのことを物語っている。
人類が利用できる化石燃料、鉱物資源などの有用な資源は有限で、新たな開発のための投資コストはさらに重くなり、採算が取れなくなってきている。米国のシェールガスは、ウクライナ危機により、再投資の動きが出ているものの、従来の中東産の石油とは比べものにならないほど高コストである。また、あらゆる資源の開発に多大なエネルギーが必要となる。脱炭素のためのエネルギー配分の比率を変えようとするが、長期にわたり既存の化石燃料に依存する事情に依然変わりはなく、地球温暖化対策の為の脱炭素のための先行投資も莫大で、その投資効果も、すぐには大きな期待はできず、二つの課題を同時に解決するのは非常に困難であり、各国は現状のエネルギー資源の供給源を確保しつつ、エネルギーを取り巻く将来像をどう描くのか、どの解決策を選ぶのか難しい選択を迫られている。
日本モデルの将来性
日本は、少子化と高齢化の高度に進行した、先進の社会モデルであり、どの国よりもその課題に正面から向き合い、取り組んでいるといえるだろう。経済成長率の鈍化と低金利、人口の減少は表裏一体であり、その主たる原因は、中小企業の生産性の低さだとか、零細規模中小企業の多さだとか、デジタル化の遅れにあるのではなく、むしろ必然的に低成長、定常化、恒常化していく安定期への必然的な移行期ともみることもできる。
無論、格差を是正する為にも、企業活動の適正な分配政策とともに、今後も健全な社会を維持するためにも、経済成長は求められるが、幾多の困難を経て、日本が今まで築き上げてきた経済発展による富の蓄積と、民主主義の定着による市民社会の形成、充実した社会福祉・医療制度・年金制度の充実などは先進的モデルであり、日本は定常化、恒常化し、安定化する社会の前提条件を備えていると言えるだろう。これらの実現には、多くの時間をかけての成長による蓄積と、自由な市民社会の意思形成が不可欠であり、世界の多くの国からみれば、容易には実現し難い大きな課題にも見える。現状を見渡せば、尚、改善すべき問題は多くあるが、いたずらに成長を追い求める政策の継続よりも、客観的に現実を受け止め、見方を変えて、水野和夫氏の唱える「より遠く、より早く」から「より近く、よりゆっくり、より寛容」になり、「近代の秋」を見届けるという、選択肢もあるのではないだろうか。