終わりなき学び
騒々しい社会の出現と孤独
報道・言論出版のIT化、SNSなどのコミュニケーション手段の発展により、様々な事象・事件の発生に世界は同時に反応し、共鳴し、反発し、様々な影響と行動を瞬時に呼び起こす。その影響速度は想像以上に迅速に広がる。特に経済・金融に於いてはリスクの表面化と急拡大により主要な経済指標の急上昇・急下降をもたらし、そのサイクルはますます短くなり、世界経済の先行きは三ヶ月先を見通すのも難しい。しかし、その影響は着実に人々の実生活に大きな変動を呼び起こす。それは経済的な価値判断・取捨選択のみならず、様々な生活の場面、職業選択、教育進学コースの選択にまで及ぶ。誰も全体で何が起こっているのか実態が掴めず、さらにIT技術による情報格差が生まれ、経済格差の拡大傾向は続き、誰もが自分は今後どうなるのかという不安とストレスから逃げられない。そこに自己防衛本能が働き、外部の情報、騒音を遮断し、すべてのリスクを遠ざけ、内にこもりがちになる。その傾向にコロナ禍が更に拍車をかける。
徒然草より
「人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、
願いも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、
雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。
日暮れ、塗遠し。
吾が生既に蹉佗たり。
諸縁を放下すべきときなり。
信をもまもらじ。礼儀をも思はじ。
この心を得ざらん人は物狂ひとも言へ。
うつつなし。情けなしとも思へ。
毀るとも苦しまじ。
誉むとも聞き入れじ。」
晩年の吉田兼好の偽りなき心境の吐露であり、嘆きである。
一体いつまで私は、世間体や雑事に縛られ、生きてゆくのか・・・。いつになったら自分のために生きられるのか・・・、日も暮れ一生も終わりかけようとしているのに・・・。
ヒトは進化・発展するのか
社会環境、科学技術、政治経済、生活様式などの外部環境はめまぐるしく変化するが、古より古典文学などに描かれた人間本来の本質的なものには、余り進化・変化はは見られない。長い人類の歴史を経て進歩発展もあってしかるべきなのだが、人間はさほど進歩発展していないのではと思わせる事象に世界は事欠かない。しかし、リアルな現実世界は複雑で多様な変化を続けており、バーチャルな空間世界は途方も無く膨張し、誰にも制御不能であり、自分の知りうべき情報・知識・理解は世界のごく一部に留まり、各個人の世界に対する認識も、様々に異なり、それこそ千差万別である。だからこそ、自分の想いを誰かと共有できればと願う。
いつまで学ぶのか
人間の生命の時間に限りがあり、人生は一度限りであり、同じ経験を繰り返すことはない。すべての生まれた人間が一からのスタートであり、紆余曲折と岐路に遭遇し、様々な選択を行う。その選択こそが人生そのものである。平均寿命はめざましく伸長しているが、人間一生のうち、生活を支えるために欠くことができない、必要に迫られた学習に要する時間は更に長くなるばかりである。本来、人間の住む世界と宇宙は興味の尽きない一大スペクタルであり、自分の興味関心に従い、喜びとともに一生学ぶことは素晴らしいことだ。しかし、いつになったら現実社会の様々な制約から解放され、心の落ち着いた、ゆったりとした静かな時間の中で、自分の好きなことを学べる生活が送れるのかと、つい思ってしまう。